誰かが紡いだ記憶の連鎖。林の中の小さな図書館

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山に親しむ者、登山を嗜む者は、優れた物書きでもある。登山家としても知られた深田久弥や串田孫一といった文筆家は、山に関する多くの文章や書物を残しています。それらは、たとえ登山やアウトドア趣味のない人が読んでも、惹きつけられ、その世界に没入してしまう魅力がある。深田久弥の『日本百名山』では「祖母・傾・大崩ユネスコエコパーク」の主役の一つでもある祖母山が紹介され、多くの登山家が同地を訪れるきっかけにもなっています。

大分県竹田市は祖母傾山系や阿蘇山、くじゅう連山といった山々に囲まれていることもあり、登山好きが集まるエリア。山の麓にはそうした登山客を迎える宿泊施設が点在しています。また、くじゅう連山の東側の麓にある長湯温泉は、湧き出る良質な温泉や粋な町並みから、登山客や観光客だけでなく著名な文化人にも愛されてきました。与謝野鉄幹・晶子夫妻、種田山頭火、川端康成など多くの文化人がここを訪れています。

山、人々の生活、そして文化。それらの要素が溶け合い、また象徴するような施設が長湯にはありました。それはなんと、林の中にある小さな図書館。

林の中の小さな図書館

温泉街から川を挟んで歩くこと数分。小高い丘を進み、林を抜けると別荘地のような空間「B・B・C長湯」が姿を現します。

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ここは長湯温泉の老舗である大丸旅館が運営する長期滞在型の宿泊施設。温泉地に住んでいるようにゆったりと滞在し、療養してもらいたい、そんな想いからつくられました。土と木で手づくりされた宿泊棟はまさに家にいるようで、自炊をしたり、書斎やテラスで読書や手紙を書いたり、気が向いたら温泉へ出かけたりと、何かに切迫されることのない、自由で心地の良い時間を過ごすことができます。

B・B・C長湯の特徴的な点はなんといっても「図書館」があること。ノスタルジックな木造校舎のような建物には、山岳図書を中心とした「冬人庵書舎」と小学校の図工室を思わせる研修室があります。

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冬人庵書舎の中は童心に帰るような、物語の世界さながら。高い天井、そのてっぺんまで隙間なく設置された書棚のすべてに、本がずっしりと並べてあります。思わず「うわあ…」と口をあんぐり開けたまま見上げてしまうほどの迫力。

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ガラス戸から差し込む日の光は柔らかく綺麗。その神々しさと温かさに、本を開きながらうたた寝しそうになってしまう。力強さと優しさが同居したその空間は、ずっとここにいることが許されているような安心感に包まれていました。気づいたころには時間がずっと経っていそうなほどに。

浮遊する先人たちの想いと、巡り合いに導かれて

「ちょうど『林の中の小さな図書館』の構想が浮かんでいたとき、長年付き合いのあった旅行作家の野口冬人さんや、大丸旅館の常連でもあるドイツ文学者の池内紀さんとお話する機会がありました。タイミングの良さやご縁がつながって、とんとんとオープンへ漕ぎ着けることに。『冬人庵書舎』には野口さんが集めた13,000冊もの山に関する本を寄贈していただいてます。絶版本やガリ版刷りの冊子といった今となっては貴重で、手にすると編まれた当時の記憶が蘇ってくるような書物もあるんですよ」

図書館の本に触れながら感慨深げに話すその人は、大丸旅館の会長である首藤勝次さん。首藤さんは大丸旅館の5代目として生まれ、旧直入町役場職員や大分県議会議員、そして竹田市長を3期務めるなど、経営だけでなく政治を含めたあらゆる視点から長湯温泉の魅力づくりに尽力してきました。

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オープンのときの記憶は鮮明に覚えていますね」と話す首藤さん

首藤さんは父の影響もあり、幼いころから文学の素養を磨いてきました。とくに言葉や文章で表現することについては、著作を出版するほどライフワークとなっています。旅好きでもあり、旅先で出会った人・土地・言葉などに感化され、それを元としたエッセイも学生時代からずっと書き続けているといいます。

「『有由有縁(ゆうゆゆうえん)』という言葉があります。人や物事との出会いは偶然ではなく、ちゃんと理由がある。図書館をはじめ、この言葉のように縁に導かれて実現してきたことがたくさんあります。まるで、地域遺伝子とでもいうような、その土地に浮遊する先人たちの願いが良きタイミングで誰かに宿り、縁をつなぎ、叶っているようにも感じられて。そういう一つ一つの小さな出来事やドラマを書き留めていたいんです」

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図書館には生前の野口冬人さんの写真も飾られている

授けられた縁を大切に記憶しておく。そして、誰かに伝え、あるいは後世に受け継いでいく。それらの言葉が集まり一つの世界をつくり出しているのが、まさに本という壮大な世界でもある。そんなふうに感じられます。

ここではないどこかの世界とつながる。それは本と旅の共通点でもある。

「本はページをめくるたびに世界が限りなく広がっていくからおもしろいですよね。自分が生きる時間とか、自らが動ける範囲は有限なのに、本の中の世界には限りがなく、素晴らしい人物に出会え、感動的な言葉を授けてくれる。そこが本の魅力なんでしょうね」

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山の麓の温泉地にある、山と旅を愛した者たちによる、山の本が集まった図書館。ここで手にする本、中に広がる世界、出会う言葉たち。それは誰一人として同じもののない、あなただけの有由有縁なのかもしれません。


【アクセス】
B・B・C長湯 長期滞在施設と林の中の図書館
住所:大分県竹田市直入町長湯7788-2
電話:0974-75-2841(8:00〜18:00)
ウェブ:https://bbcnagayu.com/
〜図書館の利用について〜
利用時間:8:00〜18:00
宿泊者:無料
一般:要問合せ

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大丸旅館 会長・首藤勝次さん

1953年竹田市直入町長湯生まれ。長湯温泉の老舗宿「大丸旅館」の5代目経営者。国土交通省「観光カリスマ」選定。2009年〜2021年、竹田市長を3期12年務める。その間、環境大臣表彰(温泉部門)や日独文化賞などを受章。2016年には第11回マニフェスト大賞を受賞。座右の銘は『有由有縁』。著書に『御前湯日記』『60年前を歩いていた男』エッセイ集『有由有縁』。一般社団法人竹田市健康と温泉文化・芸術フォーラムの理事長も務める。

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