〈後編〉偉大な登山家の足跡残す「五ヶ所高原」

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高千穂町・五ヶ所高原にある「三秀台」は、祖母山・くじゅう連山(大分県)・阿蘇山(熊本県)が望めることからその名がつけられた景勝地。晴れた日は遠くの山肌まで鮮明に見通すことができます。
取材に訪れたのは2月。寒空の下、緑が鮮やかさを失っていてもなお美しく広がる眼前の大パノラマに、見惚れずにはいられません。

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上の写真奥、光を集めてひときわ存在感を放っているのは、祖母山の峰。
日本書紀にも登場する由緒ある山で、その名は初代天皇・神武天皇の祖母である豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)が御神体であることに由来しているといわれています。
長きに渡り、信仰の対象として人々に崇められてきた祖母山は、かつては「九州一高い山である」とも信じられていました。

そんな祖母山と、とある著名な登山家にまつわる歴史を、皆さんはご存知でしょうか。

祖母山登山を記念して建てられた巨大な記念碑・ウェストン碑

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三秀台で目を引くのは美しいパノラマだけではありません。
大空を背景にそびえ立つ、8mの巨大な石碑。これは「ウェストン碑」と呼ばれ、英国人宣教師ウォルター・ウェストンが祖母山に登ったことにちなんで建てられた記念碑です。

ウェストン師といえば、日本近代登山の父と呼ばれる人物。
明治21年に英国国教会の宣教師として初めて来日したウェストンは、のべ13年間にわたる日本滞在中、布教活動の傍ら国内を旅行し、各地の名峰に挑んで回りました。日本アルプスの名付け親としても有名で、上高地(長野県)に建てられたウェストン碑の存在は耳にしたことがある人も多いことでしょう。

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記念碑に刻まれたウェストン師のレリーフ。

しかし実は、日本アルプスを訪れるより先の明治23年11月、ウェストン師はすでに当時でいう“九州最高峰の山・祖母山”に登っていたのです。それは、65年が経過した昭和30年のこと。五ヶ所の旧家・矢津田家で発見された日記に残っていた記録から判明しました
この歴史的事実は、その後の祖母・傾山周辺地帯の国定公園指定にも大きな影響を与えました。

三秀台のすぐそばで生まれ育ち、その経緯を詳しく知る甲斐英明さんは、「当時の祖母山は深い原生林に覆われていたため常人が立ち入れるような山ではなく、大蛇にまつわる伝説まで残されており、『一の鳥居に設けられた遥拝所より先は登ってはならない』と言われるほど畏怖される存在でした。日本人に“楽しみとしての登山”を広めたウェストン師の軌跡が確認されたことは、人々の認識を大きく変えるきっかけになったはずです」と語ります。

そしてついに昭和41年、ウェストン師が祖母山登山の際に通ったとされる旧道横に位置する三秀台に、記念碑が建設されました。
さらに昭和47年には洋鐘が、ウェストン生誕100周年・高千穂町70周年を迎えた平成2年には碑文が取り付けられ、現在の姿が完成。碑文石には、ウェストンの生家から送られた庭石(ヨークシャ石)が埋め込まれています。

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鎖を引くと澄んだ洋鐘の音が高原全体に響きわたり、やがて山々に吸い込まれるように消えていく。

近代登山の父の功績を称え、偲ぶ祭り

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昭和60年には日本山岳会 宮崎支部が設立され、同年には記念すべき「第一回 宮崎ウェストン祭」が開かれました。ウェストン師が祖母山に登った11月6日に近い休日が選ばれ、毎年11月3日(文化の日)に催されます。
催しでは、ウェストンを偲び、碑石の前で点鐘、献花、合唱が行われ、式典後は交流会が開かれます。第二回開催の時には、日本山岳会の歴代会長の面々が会する華々しい光景も見られたと、甲斐さんは懐かしく当時を振り返ります。
令和2年から3年にわたり、新型コロナウイルス感染症の影響で中止を余儀なくされましたが、地元の人のみならず山を愛する多くの人々から再開を望まれています。

ウェストン師の功績を讃えて高原に佇む石碑は、高原の風に吹かれながら、今日も人々の訪れを待っています。


『宮崎ウェストン祭』
〈開催に関するお問い合わせはこちら〉
主催:高千穂町役場 企画観光課 0982-73-1212
※情勢によって中止、または記事で紹介した開催内容が変更になる場合があります。