人々の営みと溶け合う、唯一無二の自然「北川湿原」
宮崎県北部に位置し、大分県と接する延岡市・北川町。
このまちの家田(えだ)地区、川坂(かわざか)地区には、ぞれぞれ18ha、2haの湿地が広がっており、2つを総称して「北川湿原」と呼びます。
里山の風景に溶け合うように広がるこの湿原は、原生的な自然が今も息づく貴重なエリアです。
『家田の自然を守る会』の会長・岩佐美基さんにお話を伺うため、家田地区にある「家田湿原」に訪れたのは1月下旬のこと。
この日は宮崎に雪が舞う寒波が訪れ、平野部では風が吹きすさんでいましたが、ここは山々に囲まれた盆地状になっているためか、風はなく、寒さも穏やか。
「散策するのにおすすめしたい時期は、4月から5月と、9月中旬から10月にかけて。せっかく来てもらったのに申し訳ないけど、冬は見てもらえるものがあまりなくて…」
その視線の先には、鮮やかな草花やトンボなどの昆虫類は影を潜めた、ひっそりと静かな景色が広がっています。
湿原のオギ原は、つい1週間ほど前に地域住民と同会が協力して行われた野焼きで、真っ黒な衣を纏っています。野焼きは、外来植物や害虫を除き、萌芽を促す目的で行われている、毎年1月の恒例行事なのだそう。
春が訪れると、一転して生き物のエネルギーで溢れ、秋が過ぎるまで、さまざまな動植物と出合えます。
最近実施された調査によると、確認された絶滅危惧種の数は88種。
北川湿原は、希少な動植物の宝庫なのです。
湿原に生息する希少な動植物の中でも、代表的なのは「キタガワヒルムシロ」。その名称から察する通り、家田湿原で平成12年に発見された新種です。国の固有種であるにも関わらず、群生を日常的に目にしていた地域住民にとっては見慣れた水草で、平成12年に著名な水草研究者に発見されるまで、その希少価値は見過ごされていました。
さらに、「コウホネ」と呼ばれるスイレン科の植物の大群生も見もの。
水面に平たい卵型の葉を浮かべ、水からにょきりと垂直に茎を伸ばし、直径5㎝に満たない黄色い花を咲かせます。
春から秋にかけて家田川で観察できる「サイコクヒメコウホネ」の群生は、日本一の規模ともいわれています。
湿原内にはいくつもの湧き水があり、一年中冷たい水で満たされているため、通常は北方の寒冷地でしか見られない「オニグルミ」「オニナルコスゲ」「ヨロイグサ」「ヤナギイボタ」などの植物も観察できます。これらも、北川湿原の希少性を高める特長の一つです。
かつては、“見慣れたふるさとの景色”だった
この素晴らしい自然に自然にスポットライトが当てられたのは、平成初期に至ってから。
湿原のあるエリアはかつて水田があり、稲作が行われていたものの、ぬかるんだ地質で維持管理が困難であったため放棄され、荒涼地となっていました。
しかし、平成元年にその存在が見出されてしだいに希少性が明るみに出ることとなり、平成13年には環境省の「日本の重要湿地500選」に選ばれ、延岡市で湿地保全の方針が決定されました。
一方で地域住民の関心は依然として低かったものの、平成22年にはラムサール条約湿地潜在候補地に指定され、なおかつ県外からの訪問も増えたことで「このままではいけない」と意識を改めて団結し、家田地区では『家田の自然を守る会』が、川坂地区では『川坂川を守る会』が発足。外来種の駆除をはじめとする環境保全活動を行うと同時に、訪問者が見学しやすいよう、草刈りや遊歩道の整備、杭打ちなどを行い、美しい景観づくりに力を注ぎました。
その活動は今日も変わらず、住民たちの情熱によって継続されています。
希少な自然を、子どもたちの世代へ
『家田の自然を守る会』会長である岩佐さんは、小学校への出前授業を行い、中高生の観察会の案内役を務め、延岡市民を対象とした観察会を市と共催するなど、地元住民に向けた湿原の希少性や魅力の発信にも尽力しています。
「学習会や観察会に参加した子どもたちからは『こんな場所があるなんて知らなかった』という感想をよくもらいます。私自身がそうであったように、身近であるほど、その素晴らしさを実感する機会はなかなかないものです。
希少な自然をのちの世代につないでいくために、守り、知らせていくことも私の役目だと感じています」。
そう語る岩佐さんの瞳はまっすぐで、家田の自然への誇りに満ちていました。
『家田の自然を守る会』会長・岩佐美基さん
家田地区の住民が集まり、協力して家田湿原の環境保全活動や景観整備活動を行なう『家田の自然を守る会』の会長。地道な活動が評価され、平成25年に延岡市景観賞 最優秀賞を受賞、平成26年には宮崎県地域環境保全功労者、MRT環境賞 大賞の表彰を受けた。