伝統文化の糸をつなぐ、職人の腕「高千穂神楽面彫師」

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しんとした6畳ほどの作業部屋に、楠を削る彫刻刀の音が響いています。
澱みのない動きで彫刻刀を操っているのは、『天岩戸木彫』3代目・工藤浩章さん。宮崎県・高千穂町で継承される「高千穂の夜神楽」で使われる神楽面の職人です。

夜神楽とは、毎年11月中旬から翌年2月上旬にかけて、高千穂町内約20の集落で夜を徹して行われる神事のこと。日本神話「天照大神の岩戸隠れ」を題材とした三十三番の神楽を奉納し、秋の実りへの感謝と翌年の豊穣を祈願します。国の重要無形文化財に指定されており、神楽面は宮崎県の伝統工芸品にも認定され、大切に守られています。

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天岩戸木彫では、日本神話に登場する神々である手力男命(たぢからおのみこと)、天鈿女命(あめのうずめのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)の3種の面を主に制作していますが、そのほかにも面や獅子舞などの修理や塗り直しの依頼がひきをきらないため、これまで彫ってきた木彫刻の数は無数にあるといいます。

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取材に訪れたこの日は、装飾用や厄除けなどによく用いられる「壁掛け用」神楽面の制作途中。すでに滑らかに輪郭を整えられた女面に、目を彫っている最中でした。下絵もなく、顔の中央に引かれた十字の直線だけを頼りに均整をとり、迷うことなく刃を入れていきます。これぞ何十年ものあいだ繰り返してきた熟練の手捌き。惚れ惚れします。

整備士からの転身。ものづくりを愛した数十年

20代のころ自動車整備士だった工藤さんは、結婚を機に、妻の実家の家業である神楽面制作に初めて触れることとなりました。もともと“ものづくり”が好きで手先が器用だったため、「まずはやってみよう」という気持ちで職人の世界に飛び込み、福岡県・北九州市で1年間、仏像彫刻を学び基礎を身につけるところから始めました。
同時期に神楽の舞手となり、自ら舞台に上がりながら面をつぶさに観察することで、形やあしらいを少しずつ自分のものにしていったといいます。

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「なにせ明日から作って売らないと生活がままならないという状況でしたから、自分が着用した神楽面を穴があくほど観察して学びました。実際に舞で使われる面を手に取る機会が得られたことは、駆け出しの職人だった当時の私にとって大切な成長の糧でした。
加えて、面の塗りは親父さん(妻の父・先代)もやってなかったものですから、私が一から試行錯誤したりもして…。幸い、『なんでも自分で工夫してやる』というのがもともと私の性分でしたから、続けてこられたのだと思います」

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工房に並べられたさまざまな形状のノミや彫刻刀も、工藤さんが長年かけて揃えてきたもの。手入れされた彫刻刀の柄の部分には、シルクスクリーンでプリントした手力男命の形相が浮かび上がっており、道具への愛着が感じられます。

無骨で迫力のある凹凸、触れれば指が沈むような柔らかさなど、同じ樹種でも面に応じてさまざまな質感を表現しなくてはなりません。それらを彫り分けられるかどうかは、職人の技術と道具の良し悪しにかかっています。
「天鈿女命の面は男面の半分ほどの体積しかないので労力はかかりませんが、凹凸が少ないぶん、口の開き方や口角など些細なバランスで大きく印象が変わってしまいます。これがなかなか難しく、息子も苦労しているようです」

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工藤さんの長男・省悟さんもかれこれ10年ほど前、20代なかばで弟子入りし、4代目としての人生を歩み出しています。「息子は物産館や百貨店での実演販売にも積極的に取り組んでくれており、工房で黙々と仕事をする私とはまた異なるタイプの職人です。私一人では成しえなかった領域に彼が踏み込んでいくことで、『天岩戸木彫』の可能性がさらに広がっていくのではと期待しています」

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伝統の守り人として

神楽文化や家業の存続のため、メディアの取材対応など、発信にも力を抜かなかった工藤さん。周知が全国に及んだためか、各地から伝統芸能の道具を修復してほしいという依頼が舞い込むようになりました。
何十年、時に何百年と受け継がれてきた小道具や装具は劣化や欠損が激しく、その土地特有の素材を加工してつくられていることも多いので、作業は困難を極めます。中には「寺で火災が起こり、奉納されていた面が焼失したため再現してほしい」という依頼も。一見不可能と思える内容でも、工藤さんが首を振ることはめったにありません。ものづくりへの情熱、神楽文化に対する深い愛情が、工藤さんを突き動かしています。

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「一口に“面”といっても、地域によって形相はまったく違いますから、その土地の風土や類似の伝統工芸品を調査しながら、手探りで制作していきます。
今や、職人はどこにでもいる存在ではなくなりました。依頼主も『面の修復なんてどこに依頼すればいいものか』と悩んだ末、私に電話をくださっていることでしょう。簡単な仕事ではないですが、さまざまな地域に受け継がれる希少な文化の守り手として、その継承に貢献できればと思います」